教室員の風景

2011年12月

これは留学先のUniversity of Massachusetts Amherst(UMass)の図書館に飾られているWilliam Smith Clarkの写真。彼はUmassのPresidentでしたが、後に札幌農学校(現北海道大学)で教鞭をとります。Boys, be ambitiousは有名です。
小生も、ambitiousを持って留学しました。

滋賀医大女性診療科講師の木村文則です。平成5年に滋賀医科大学卒業の後、滋賀医大産婦人科に入局し以後産婦人科医をしております。
現在、私の専門は生殖内分泌学です。産婦人科の扱う臓器は女性生殖器で、主に子宮と卵巣であり扱う臓器は少ないですが、診療内容、形態はさまざまです。生殖内分泌に落ち着くまでは、私もさまざま分野に興味を持ち変遷がありました。
産婦人科に入局する際は、小児科(新生児科)、小児外科と産婦人科で迷いました。生まれてきたばかりの赤ちゃんを治療してあげたい。人生の出発とも言える時期の赤ちゃんを相手にしたいと思いました。これはいろいろ考えてというより直観的な本能に基づくものであったように覚えています。また、外科的治療ができないと最後まで患者さんの面倒をみられないように思え外科系に進みたいと漠然としたものも持っていました。幸か不幸か当時、小児外科が滋賀医科大学になかったこと、学生実習の際に3kgの赤ちゃんが分娩で生まれてくるダイナミックさに圧倒されてしまったこと、産婦人科が外科系であったことから産婦人科に入局することとしました。入局した際にはこのように赤ちゃんが生まれてくる科として産婦人科に魅力を感じていました。
2年間の滋賀医科大学での初期研修中は、合併症妊婦の管理、分娩の取り扱い、婦人科腫瘍などをまんべんなく勉強させて頂いていたと思います。
3年目の後期研修で茨城県立中央病院に赴任しました。この病院には地域がん医療センターが併設さており、比較的多くの婦人科悪性腫瘍の患者さんが集まってきていました。後期研修にも関わらず2年間で7例の子宮頚癌手術である広汎子宮全的術を執刀させていただきました。この当時は、将来は婦人科腫瘍の専門になろうと思っていました。5時間を超えるような手術にもやりがいを感じていました。余談ですが、この後期研修は非常に大きな意味を持ちます。この病院で多数症例を扱ったために開腹手術を執刀する時は、私は患者の右側に立たないとできなくなりました。今でもそうです。滋賀医大およびその関連病院では、執刀する際には、患者の左側に立ちます。この後期研修の時期は、もっとも手技等を吸収しやすい時期なのでここで身に付けたことは、一生その個人の診療のバックボーンになるのではないかと思っています。後輩たちの手術方法を見ていてもそれを感じます。
その後、関連病院を回りながら習練し産婦人科一般診療を身につけていったと思います。この間に分娩を取り扱い、悪性腫瘍を含む手術も多数行いました。
7年目の途中で研究をするために大学に戻ってまいりました。前教授野田洋一先生のお考えで大学院には進まず、医員として給料を頂きながらの研究でした。先輩方も同じように医員または研究生として研究されている方が多かったように覚えています。この時は本当に自分でもよく頑張ったと思います。アフター5からの実験は当たり前で帰宅するのが午前2時、3時となることもよくありました。もちろん直接指導してくださいました高倉賢二先生、竹林浩一先生の指導によるところが大きいと思いますが、6か月程度で学位となる実験結果をまとめることができました。この研究の際に生殖内分泌学をふれることができ生殖医学に興味を持ちました。
学位取得後は、野洲病院に2年間出向しました。いわゆる一人医長を経験しました。今の時代は一人の病院に複数の医者という方針なので、一人医長を経験することはほとんどないと言ってよいと思いますが、当時の一人医長の経験は大変でしたがよい経験となりました。リスクの低い妊婦や手術症例ですが、自分の責任のもと治療を進めなくてはいけません。また、他の科の先生と交渉し自分の仕事を円滑に進めなくてはいけません。このような意味で非常に良い経験であったと思います。この病院に赴任した際にはやはり正常分娩の楽しさを再確認したと思います。側臥位分娩をしたりできるだけ分娩台に縛り付けない分娩にこだわりました。このまま開業するのも一つの手かと思ったぐらいでした。
この野洲病院赴任後は、再度大学病院にもどり副病棟医長、さらには病棟医長を経験させていただきました。産科婦人科のまれな症例、超が付く重症症例に対する治療を行うことができ、医師としての修練としてはこの上ない経験であったと思います。
病棟医長終了後は、生殖内分泌の分で診療しておりましたが、何か物足りないと常々考えておりました。それはやはり医学自体がそうだと思いますが、生殖医学はとりわけ基礎医学的知識に習熟していないと深く関われないと考えていたからでした。もう一度分子生物学の分野を勉強したいとの強い思いが湧き起っていました。そうして海外留学という形でこの考えを実現しました。留学では、存分に基礎医学に触れることができ、海外の文化にも接することができました。留学から帰って来た後、現在、生殖内分泌の診療を行っていますが、目の前にいる患者さんに自分の提供できる最大限の診療を提供するだけでなく、10年後、20年後に行われる治療、またはその基礎となるような仕事もしていきたいと考えています。

これから進路を考えられる研修医、医学生も読む機会があると思いますので、当科の宣伝をしておきます。
産婦人科は、先述のように産科、婦人科腫瘍、生殖内分泌と大きく分けられ、生命の誕生から人の死まで診療に携わることができます。基礎的な研究も行えます。入局してから個人の適正において進路を自由に選べることも可能と言っていいでしょう。また、我々の医局には4人の女性の助教(assistant professor)がいます。滋賀医大内部を見渡しても、またほかの大学の産婦人科医局をみましてもこの数は非常に多いと言えると思います。男性、女性問わず働きがいのある仕事内容、職場であると言えます。進路で迷われている研修医、医学生がおられましたら是非とも一度遊びに来て下さい。