滋賀医大産婦人科の天野創と申します。卒後10年目です。今年の6月から婦人科病棟医長という非常にやりがいのある職をさせて頂いております。これから研修をされる先生も読んでくださるかもしれませんのでどんな10年間をすごしてきたかということを少し書いてみたいと思います。
滋賀医大を卒業して滋賀医大産婦人科に入局し最初の3年間は大学で研修を行いました。当時はフィルム、薬剤、検体の運搬などの雑用が非常に多かったように記憶しておりますが、同期の辻先生、高島先生とよく飲みに行ったりしながら楽しくやっていたと思います。その当時は手術が同期の辻先生や高島先生と比べて明らかに劣っていることが自分でもよくわかり(まあセンスの差ってやつです)、外科系のことは向いていないのかな、などと悩んでいたと思います。当時から婦人科腫瘍学に興味があったのですが、当時大学におられた秋山先生の手術をみて、こんな手術は一生自分にはできないだろうな、などと将来の不安も持っていたように記憶しております。ただそれはあくまで自分の技量のなさからくる不安で日々の仕事は楽しく、産婦人科を辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。
大学で3年間の研修を終えた後は茨城県の日立総合病院で2年間勤務させて頂きました。日立は関西でいうと地形的には神戸に近く、海からすぐ山になりその間の帯状のところに街があるというところでした。病院から海までは自転車で10分かからない位の距離だったので当直でないときなどは勤務後に釣りにいったりもできました。分娩が1200件以上ありNICUもfull openで搬送をどんどん受ける病院でありながら、部長先生は腫瘍専門であり癌の治療も沢山やるという多忙な病院で、当直はほとんど寝れないことが多かったですが、東大や帝京大学からきていた同世代の先生たちとよく飲みに行ったりし楽しい楽しい毎日でした。いまでも時折飲み会があり、そういった他大学の先生との交流ができたということも非常によかったと思います。日立では厳しくも温かい部長のもと分娩を2年間で500件程度経験することができ、悪性腫瘍の手術にも沢山参加させて頂き本当にためになりました。日立総合病院で2年の研修を終えるころには帝王切開も30分以内でできるようになっており、本格的に婦人科腫瘍を勉強したいと思うようになってました。そこで国立がんセンターのレジデント制度に応募することにしました。
国立がんセンターのレジデント制度は39年前から始まっており伝統のある確立されたシステムでした。婦人科レジデントとして婦人科腫瘍学を専門的に勉強するわけではありますが、その中で大腸外科に半年、泌尿器科に半年ローテーションをするという制度がありました。このローテーション制度は非常に充実したものでした。全国から集まってくる同世代(6-10年目くらい)の外科医師たちと切磋琢磨しならが一流の外科手術を勉強することができました。外科レジデントの医師たちと金曜日の夜に新橋や有楽町へ飲みに行き一週間の疲れを癒すというのも楽しみの一つでした。厳しい先生の多い病院でしたので手術中にレジデントが怒鳴られることなどは日常茶飯事でしたが、互いに他のレジデントが怒られているのをみて『ふむふむ、こうゆうことをしたら怒られるのか・・・』など考え自分の中で修正していくことを積み重ねていきました。最初は怒鳴られるのに慣れていなかったわけですが、経験を積むにつれて怒鳴られるのにも慣れてきてそんなプレッシャーの中でも平常心で手術ができるようになってきました。これは代々伝わる指導法のようです。最初はつらいものでありますが、慣れると全く平気になり、なかなかためになるものだと思いました。そうした外科での修行を最初の2年間で終えた後、残りの2年間を婦人科のレジデント、チーフレジデントとして過ごしました。レジデント1人でやっていた多忙な時期もありましたが、婦人科スタッフの先生方から本当に根気強く指導して頂き、ほとんどの手術を執刀することができ、かなりの婦人科悪性腫瘍手術を経験することができました。今から振り返ればしんどい側面も多い4年間ではありましたが、やり切ったことで自信を持つことができ本当にためになったと思います。
そんな感じでこの春から大学へ帰局させて頂いてます。今でも、日立の海や東京の夜景が妙に懐かしくなることがありますが、生まれ育った関西に帰ってきて少しほっとしています。そしてなによりも一番うれしかったことは長い間大学を留守にしていたにもかかわらず、大学の先生方が温かく迎えてくださったことです。滋賀医大産婦人科はもちろんのこと病院として、滋賀医大は大学病院では考えられないほど働きやすく、アトホームな雰囲気であり本当にいいところだと思います。これからもどんどん仲間が増えていき滋賀県の医療がますます充実することを心より願っております。
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