教室員の風景

2011年3月

つれづれなるままに、日暮らしパソコンに対ひて、心に映りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば・・・。
 はじめまして、久保卓郎と申します。私は平成17年に滋賀医科大学を卒業後、長野県の諏訪赤十字病院で2年間の初期研修を経て、平成19年に滋賀医科大学産婦人科教室に入局しました。
産婦人科を専攻して早くも4年が経ちましたが、半年間の野洲病院の勤務と毎年夏休みの登山を除いては、3年半を大学病院で研修しました。大学は重症患者が多く、正直なところ、しんどかったですが、たくさんの良き指導医達に導かれ、出来の悪い私が専門医を取得することができました。

この4年間で得た貴重な教訓の1つを挙げると、「妊婦の高血圧と、山の低気圧(台風)は気を付けろ」ということです。
思えば、昨年の4月に野洲病院から大学病院に帰って来る際、またハードな生活が余儀なくされることを覚悟していましたが、いざ働き始めるとそんなマイナス思考が吹き飛ばされました。それは若い研修医達が和気あいあいと、病棟でエネルギッシュに働いており、こちらに良い刺激を与えてくれたからです。彼等の大半は、産婦人科研修は1ヶ月という短期間でありますが、その1ヶ月を精一杯働き、次の月に回って来る研修医に確実にバトンをつないでいました。私自身の力不足で彼等に十分な指導はできませんでしたが、様々なタイプの研修医と2人3脚で、時には4人5脚で病棟をラウンドしたことは、楽しい思い出です。
 半ばは指導医に教えられ、半ばは研修医に教える中間的立場にいる私ですが、私に「指導者の厳しさ」を身を以て教えてくれたのは、少林寺拳法です。少林寺拳法は終戦後に中国の満州から引き揚げて来た開祖 宗道臣(以下、開祖と略します)が1947年に創始しました。開祖は敗戦によって無気力となっている日本人の有様を見て、「これではいけない、これからの半生を気骨のある青年の育成に捧げよう」と決心され、祖国復興に役立つ人間を育成する目的で少林寺拳法を創始されたのです。開祖は1980年に逝去されましたが、現在でもその遺志を継ぐ指導者達は、「人づくり、人づくりによる国づくり」という原点を強調されます。残念ながら、滋賀医科大学に少林寺拳法部はありませんが、私は縁あって地域社会の中で(現在は地元の守山市で)、少林寺拳法の指導者達にその教えを受けてきました。
 滋賀医科大学は国立大学であり、その使命の1つとして日本の(世界の)医療に貢献する人材育成があり、従って良き指導者が絶対に必要です。それは医学生や研修医、レジデントの育成に限ったことではありません。当然ながら看護学生や看護師、また放射線技師や理学療法士など、各々の職種においても該当することでしょう。指導者が育てた人材が、やがて地域や日本の、あるいは他国の医療に貢献することを通じて、国を豊かにしていく・・・。正に「人づくりによる国づくり」と思います。若き日に少林寺拳法を経験され、現在も本学の多方面で大活躍されている大先輩が身近におられることは、本当に励みになります。
 写真に写っているのは、滋賀医科大学の学舎ですが、今までここから数多の優秀な医師・指導医達が輩出して来ました。これからも優秀な医師達がたくさん誕生して、そのうち何人かは滋賀医科大学の産婦人科に入ってくれることを切に願っています。ちなみに私は木登りが得意ですが、それは恐らく、両親共に昭和○○年の申年(さるどし)生まれのためかもしれません。木登りの極意は、徒然草の第109段の「高名の木のぼり」に書かれています。その極意とは、「過ちは、易き所になりて、必ず仕る事に候」です。
皆さんも、埃をかぶっている中学・高校生時代の国語の教科書を是非読んでみてください。