教室員の風景

2012年2月

卒後7年目の山中章義です。滋賀医大の卒後臨床研修を2年終えた後、そのまま産科学婦人科学講座に入局。その後2年間京都の市中病院で勤務し、現在は大学に戻り大学院で研究をしています。産婦人科医として働き始めた頃は、先代の教授をはじめ厳しくも温かい先輩方の指導の下、診察・手術・お産・考え方などをたたき込まれました。これは自分の中での基盤であり、いまでも僕の産婦人科医としての大黒柱となっています。当時はあまりに忙しく、目の前にある仕事をこなすのに必死でした。大変な症例もたくさん経験しました。市中病院に勤務することが決まった時は、これまで上級医におんぶに抱っこ状態だった自分が果たしてやっていけるのだろうかと不安でした。しかし実際に働き出してみると、もちろん初めてのこともありましたが、大学で研修した知識や技術が非常に役立っていることに気付きました。大学で研修していた頃は忙しくて感じませんでしたが、市中病院で働いてみて初めて自分のレベルアップを実感できました。市中病院では外来や手術をさせてもらえるようになり、部長にもいろいろ指導していただき、自分の視野がさらに広がった気がしました。この頃に自分の中でいくつか変化が起こりました。大学で研修していた頃に大嫌いだった腹腔鏡下手術と子宮内膜症に興味を持った事です。自分で外来をして手術に参加するうちに、それぞれの患者さんにとって最善の治療とはなにかを以前より考えるようになりました。とはいえ市中病院は大学ほど研修機能を備えてないため、自分でやる以外にありません。自分で調べて、自分自身でレベルアップするしかありません。大学にいた頃より少し時間があったので、学会に参加して勉強したり腹腔鏡の練習を自分でやったりしていました。市中病院での2年間で基盤がさらに広がった気がします。まだ基盤ですけど。
 今は何をしているかというと、大学院で子宮内膜症の研究をしています。学生時代、研修医時代に大学院で研究することなんて想像すらしていませんでした。今の時代に博士号なんて持っていても何の意味もないと思っていました。でもこれは自分が無知なだけでした。たしかに博士号だけ取得するのであれば意味はないかもしれませんが、それまでの過程が重要でした。自分で研究してみて初めて研究の大変さ、重要性を感じました。今の医療が先人達の無数の研究で成り立っていることを再認識しましたし、疾患への考え方が少し変わりました。子宮内膜症について少し書きたいと思います。子宮内膜症とは、本来子宮の内側にある内膜が別の場所に発生する疾患です。主な症状は生理痛や過多月経ですが、多くの女性がこの病気に悩まされています。若い頃から発病するため、勉強や仕事に支障を来す方も多いです。子宮内膜症という言葉ができてから100年以上が経ちますが、現在のところ原因は不明です。いくつかの説がありますが、仮定の域を超えていません。だからこそ厄介な病気で、予防法も根治する治療法もまだありません。世界中でたくさんの研究者が毎日子宮内膜症の研究をしていても、まだ解明されていない事がたくさんあります。僕がやっている研究がその解明の隅っこにでも関わることができればいいなと思います。
 ここまで読んでいると「マジメか!」って同僚からつっこまれそうですが…。人に言えるほどの趣味もなく、自慢できることもないので字数稼ぎをしてみました。読書感想文を書く時に、やたらと本文を引用して原稿用紙を埋めるあの類です。本当に言いたかったことは…産婦人科に興味がある学生、産婦人科になろうと思うが研修病院を悩んでいる研修医の先生、一緒に働きませんか!大学は雑用が多いから研修できないとか、症例が偏っているとか言われますが、そんなことは素人が言うことです。知らない間にどんどんレベルアップできますよ。一度見学に来て下さい。実際に働いている若い先生を見れば分かります。